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ねぎとろ丼

ねぎとろ丼

某国上海娘 - 前編

   -事の始まり-

 ※ 話の一部にグロテスクな表現があります。ご注意を。


 幻想郷が存在する日本よりもずっと西の方角の土地に、小さな町があった。
 そこは農業による耕作や家畜の飼育によって毎日の食料を得ている、農村に近いものだった。
 また、その国ではある流派拳法が伝えられているところでもあった。
 住民達は皆国技のように、生まれれば目上の者から教わるようになっていた。
 健康を維持するための運動として。
 またある者は技術を競い合う遊戯的なものとして。
 またある者は妖怪等の人外と闘うための手段として。
 そこに住まう者達は皆、拳法を身につけていた。

 その国に一人の少女が居た。名前は紅美鈴。年は十代前半頃。
 一人っ子で、仲の良い夫婦の下で元気に育つ娘。
 そしてこれはその少女に焦点を当てたお話。


   -平和な日々-


 私の名前は紅美鈴。
 両親が私を身ごもったとき、婆様と爺様から家宝として金の鈴を授かったらしい。
 その時の綺麗な鈴をあしらって、私の名前を決めたそうだ。めいりんと。友達に自己紹介したとき、可愛い名前だと褒めてくれた。
 両親は毎日畑を耕している。自給自足の生活だ。
 私は父と母の仕事を手伝いながら、武道のお稽古に励んでいた。爺様の紹介で、町中の人が集まる大きな道場へ通っているのだ。
 将来私は道場にいる師範から免許皆伝を頂き、自分の道場を開きたいと思っている。
「お母さん! お父さん! じゃあ、行って来ます!」
「気をつけてね」
「がんばれよ、美鈴!」
 午前は両親の畑仕事のお手伝い。午後からはお稽古の時間。
 近所に住んでいる、おさげが可愛い女の子を誘って行く。彼女の名前はセイニャン。小さい頃から知り合っている仲である。
 藁葺き屋根の家が建ち並ぶ丘を越えて、石造りの道場へ。道場とは名ばかりの、その建物は立派な修道館に近いものだ。
 師範はとても凄い技を会得しており、光球を放つことができる。私にはとても真似できないことだ。
 でもいつかは、と想いを胸に秘めて今日も修行に明け暮れる。
「師範、お願いします!」
「うむ。今日も厳しくいくぞ、美鈴」
「はい!」
 にっこりと微笑む師範と拳法の組み手を何時間も続けた。私と同じ志を持つ男の子、女の子とも鍛えあった。
「ありがとうございました!」
 私を含む四十人程の若人が一斉に頭を下げ、師範に挨拶。
 皆が家に帰る時間になったのだ。それは夜がやってくるから。夜が来るということは、妖怪が出てくるということだから。妖怪は人を食う生き物だ。
 そう両親と師範に教わった。彼らは凶暴にして醜悪であると。だから妖怪が出る前に早く家へ帰らなければいけない。
 どれだけ拳法を学んでいても、簡単に勝てる相手ではないから。


   -運命は残酷だ-


 ある寒い日。両親が町外れに在る、婆様と爺様の家へ挨拶に行く用事が出来たので私が家で留守番をしていた。
 その日は師範から新しい技を教えて頂いた日だった。私がやってみせると凄く褒められたのだ。
 そのことを報告しようと父と母を待っているのに、帰ってこないことに私は苛立っていた。
 外は真っ暗。妖怪が出るかもしれないから、私は少しだけ心配していた。
 何より近くの村で妖怪が現れたと噂になっていたので、余計に気になって仕方がなかった。
 母が作り置きしていった握り飯を頬張るも、落ち着けない。家の中で腹筋や腕立て伏せをしても、気は紛れなかった。

 突然家の扉が開け放たれた。そこには息を荒げたセイニャンがいた。慌てて来た様子である。
「美鈴のお父さんとお母さんが……妖怪に襲われたって!」
 嫌な予感が当たってしまった。顔から血の気が引いていき、何も考えられなくなっていく。
 セイニャンに手を引っ張られて行き、気がついたときには、夜空の下を駆けていた。

   ※ ※ ※

 どれぐらい走ったのだろうか。とても大きな満月の出ていた、不気味な空だった。
 その忌々しさが今夜の悪い出来事をあらわしているみたいで気持ち悪かった。私は月を睨んで目的地へ急いだ。
 町の一角には人だかりが出来ていた。とりあえず今は近くに妖怪が居ないようである。もうどこかへ逃げたのだろう。
 友達が叫び声を上げて野次馬な人たちを下がらせた。開けたその先には父と母が倒れていた。
 血溜まりの中、胸を上下させている。苦しそうだ。父と母の傍には婆様と爺様も居る。二人とも暗い表情だった。
 爺様が呼んだ医者が父と母の傷口を真っ赤になった布で押さえていだが、医者の表情がどこか諦めているような感じ。
 私はすぐに側へ寄った。父と母の手を握るも、握り返してくる力は微弱なものだった。
 血塗られた母の腕は冷たかった。ここまできて初めて涙が溢れ始める。本当に父と母が死んでしまうかもしれないと、実感し始めたから。
「嘘……。お父さんとお母さん、死ぬの……? 死なないよね?」
 周りの人たちは答えない。それとも、答えられないのだろうか。
「嫌……お父さんお母さん、死んじゃいやあ……」
 涙で視界がぐしゃぐしゃになって前がよく見えない。母が私の手を強く握り直し、私を近くへ引き寄せた。
 母の口に耳を近づけると、何か聞こえた。一人でも幸せにね。そう言った気がする。
 父の方にも耳を傾けた。逞しく生きろと。そう聞こえた。それっきり二人は黙ってしまった。
 上下する胸が止まった瞬間だ。胸に耳を押し付けるが、もう何も聞こえない。
 泣き叫んだ。周りから何も聞こえないぐらいに、声を張り上げて。
 わけもわからず悔しくなって地面に何度も拳を叩きつけた。それでも湧き出る激情は収まらなかった。
 私の母と父が殺されなければいけないのか。理不尽だ。理解できない。何故。どうして。頭が混乱していく。
 悲しいだけでなく怒りも沸きだした。父と母の命を奪った妖怪憎い。


   -もっと強くなりたい-


 気がついたときには婆様と爺様の家で寝ていた。あのまま引き取られていたらしい。
 婆様と爺様がこれからはここに居ればいいと仰ったが、私は遠慮した。一人でも今まで居た家に住み続けたいから。
 それから私は一人で畑を耕し、作物の面倒を見ながら体を鍛え続けた。
 あの妖怪が憎い。腹が立つ。それを念頭に置き、ありとあらゆる方法で肉体を鍛えることにした。
 内臓や筋肉に気を込めて身体の内側を徹底的に強化した。
 皮膚の頑丈さを表す外孔というものにも気を流しこみ、練り上げて硬くした。
 毎日分厚い岩盤に拳と蹴りをぶつけて、自分がどれだけ強くなれたのか確認した。
 その岩盤を揺るがし、砕き、割ることができた頃に私は師範から免許皆伝を頂いた。
 かつて師範がやって見せた、憧れであった光球の術も今では思いのままだった。

   ※ ※ ※

 若くして道場を卒業できた私は早速師範代を名乗り、自分の道場を開くことにした。
 一週間は食べていけるであろう大量の作物を譲るという約束で、町の大工に木造の建物を建ててもらったのだ。
 小さいけれど夢にまで見た自分の道場。
 道場には私が小さい頃から知り合っている友達らが遊びに来るようになったり、興味を持った人たちが来てくれたりした。
 道場に来る門下生らと組み手をするときは、本気で闘うようにした。
 相手に多少の怪我を負わせてしまっても気にしないぐらいに。少しでも自分を強くしたいから。
 この頃から私は他人の目が届かない場所で師範から使ってはいけないと念を押されている、禁じ手を習得しようとしていた。
 無論、あの妖怪を倒すためだ。その技を身につけるためには血を吐き、骨を砕く様な想いで修行した。
 道場での修練が終われば、私は一人引き篭もって筋力の鍛錬や気を集中する修練に励んだ。
 友達との楽しい会話はあっさりと切り上げる。一分一秒でも暇を作って体を振り回し、少しでも自分を鍛えたいから。


   -まだまだ修行がたりない-


 生暖かい夜。私は妖怪をおびき出すつもりで暗闇の町を散歩していた。
 両手には拳を保護するために巻いておいた包帯。頭には鉢巻をし、腹にはさらしをきつく巻いて。
 準備はばっちりだ。家でこっそり身につけた我流の気孔術を思い出しながら、あの妖怪と出会えることを願う。
 大通りに差し掛かったところで遠くからやってくる大きな気配に気付いた。
 それは大きな蜘蛛の生き物だった。その蜘蛛妖怪が歩くたび、周りから人々の悲鳴が聞こえた。
 子供は泣き喚き、男が怒号を吐き散らした。女は皆急いで家の窓を閉めていった。
 私は身構えてその妖怪に立ち向かっていった。私の背丈よりも遥かに大きく、山の様迫力のある妖怪へ。
 この蜘蛛が私の父と母を殺めたのだから。

 結論から言えば私は負けた。
 食べられそうになったところで渾身の一撃を叩き込み、妖怪が怯んで逃げたので命だけはなんとか助かった。
 しかし今の私ではまだあの妖怪を倒せないようである。その場でうなだれて、私は眠ってしまった。
 気がつけばセイニャンの家で寝ていた。彼女が私を見つけて傷の手当てをしてくれたのだろう。私は生きていることに感謝した。
 そしてまた修行に励む。免許皆伝の腕を以ってしても、あの妖怪には勝てなかったのだから。
 まだまだ修行が足りない。もっと強くなければいけない。人を殺せるほどの強さが欲しい。大地を震わせ、大気を支配できる程の強さを。


   -ごめんなさい-


 私の教え方が悪いのか、それとも怪我ばかりさせてしまうためか。道場にやってくる人は次第に減っていった。
 今では友人知人だけが遊びに来る程度になった。寂しく思うが、その分一人で修行する時間が増えた。だから気にしないことにした。

 ある暖かい日。事件が起きた。いや、正確に言うと起こした事になる。よく道場に来てくれる、気さくな青年と組み手をしている最中のことだった。
 この日は特にあの妖怪に対する復讐心が燃えていて、力んで取っ組み合いをしていた。
 青年は体のさばき方がとてもしなやかで、力任せな私とは違った型の武道家であった。
 彼の動きにイライラしていた私は、つい力んでやってしまったのだ。
 そう、禁じ手を使ったのだ。彼はその技を防ぎきれずに血を吐いて倒れた。近くに居たセイニャンが叫び声を上げた。
 その叫び声で我に帰った私は、セイニャンに医者を呼んできてもらった。青年に話しかけるも、すでに息絶えているようであったが。
 手刀を突き刺した喉からは勢いよく血が噴出している。
 手刀と同時に彼の腹へ放った発勁のせいであばら骨は殆ど砕けていた。内臓も無事ではないのだろう。
 セイニャンに引っ張られてやって来た医者は彼の様子を見て、首を振っていた。聞かなくてもわかる。
 彼はもう、助からない。医者が彼の胸を叩いて蘇生しようとしているが、彼が目を覚ます気配は全くない。
 そして医者は何も言わずにここを去っていった。医者がさじを投げたのだ。
 彼は死んだ。私が殺したから。殺してしまったから。どうしていいかわからなくなった。
 彼を生き返らせる方法はないの?
 私はどうすればいいの?
 自問するが何の答えも浮かばない。セイニャンが私に呼びかけているが、何も答えられない。
 返事することができない。頭が混乱していて返事する余裕がないから。
 そのうち町の人々が私の道場へ押し寄せてきた。皆して私を人殺し呼ばわりしていた。事実なので何も言い返せない。
 セイニャンはヒステリックな声で美鈴は悪くない、事故だと叫んでいた。泣いているようでもあった。
 私は本当に何をすればいいかわからず固まっていた。悲しいとか謝らなければいけないとか、そんな考えすら浮かばない。
 やがて町の皆はここから出て行け、出て行けと言い始める。町の人々の中に師範の顔があった。
 私に近づいて強烈な拳を私の顔に打ちつける。そして師範は言った。
「人の命を奪ったお前に師範を名乗る資格などない。お前は破門だ」
 青年の両親と思わしき女と男が私に暴行を加えた。されるがまま、彼らの暴力を受け入れるしかなかった。それで彼らの気が済むのならいいと思った。
 セイニャンがこれは何かの間違いだ等と言ってくれるが、言い逃れのできない殺人行為を私は犯したのだ。
 彼女の制止を振り切って私は道場を出て行った。そしてこの町からも離れて行くことにした。

   ※ ※ ※

 私は大変な罪を犯した。私は打ち首にされてもおかしくないような犯罪をした。
 師範にも怒られ、私は折角手に入れた免許を剥奪されてしまった。夢が叶ったというのに道場を追い出された。
 両親が居なくなって私一人しか住んでいない家も打ち壊され、畑も取り上げられているのだろう。
 もう私は誰かと共に暮していくことなんて出来ない。
 そう思った私は山の奥深くに篭ることにした。これで普段人と会うことはないだろう。
 猟に出かけた男と出会うことがあるならば、そのとき私は人殺しの美鈴と呼ばれるに違いない。

   -ぜんぶ終わる-


 私に出来ることはただ一つ。父と母を襲ったあの妖怪を抹殺すること。
 町を追い出されてから数年間。私は獣を狩り、木の実を摘み、魚を捕って毎日を食いつないできた。
 修行も当然続けた。周りに人がいない分、人目を気にする必要が無かった。
 この頃から自分ではっきりと実感できる程急激に成長していった。光球を撃ち出すなんて朝飯前であった。
 もっと多数の飛び道具を放つことすら出来るようになった。私一人でも狼の群を全滅させることが出来る程になっていた。
 拳を振るえば山が揺れ、脚で地を踏ん付ければ地響きが鳴った。
 発勁を見舞えば熊が倒れ、手刀の威力に巨大な猪でさえ沈んだ。
 出来る。今の私であれば、あの妖怪を倒せるはずだ。そしてあの妖怪を倒せば、町の皆は救われる。
 もしそれで私の罪が少しでも軽くなれば、また平和な日々が戻ってくるかもしれない。
 最近、町の方では毎夜遅くに大きな音が聞こえてくるようになっていた。
 おそらく例の妖怪が暴れ回っているのだろう。私は拳を握り締めて山を降りることにした。

   ※ ※ ※

 この日の夜はじめじめとして、蒸し暑かった。虫がよく飛んでいたので余計にイライラした。
 町では殆どの者が家を締め切り、灯りを消して非難している状態だった。恐らく彼らは妖怪が出てきても気付かない。
 いや、気付きたくもないのだろう。あの妖怪はたくさんの人を殺し、血を啜り、肉を喰らって生きてきたのだから。
 純粋にあの妖怪が怖いから、皆隠れるのだ。
 黒い波動を感じる。悪魔のような気配がする。奴がすぐ近くまで来ているのだ。
 女の悲鳴が響く。聞き覚えのある声だ。その声は幼馴染である、セイニャンの声だった。
 声のする方へ急ぐと、セイニャンが妖怪に食べられる寸前であった。彼女が妖怪の牙から逃れようと、必死である。
「セイニャン!」
「め、美鈴! 逃げ……逃げて! あなたも殺される!」
「安心して、セイニャン! 私はこの妖怪を殺しにきたのよ!」
 雄叫びになった私の声を聞いた彼女が私をじっと見、セイニャンの表情が明るくなった。
 次の瞬間、彼女の肉体は妖怪の牙で噛み砕かれてしまった。
 なんということだろう。あの妖怪が目の前で私を最後まで友達だと思ってくれていた親友を食べてしまうなんて。
 許せない。こんな悪辣なことをする奴をこれ以上生かしておくなんてできない。
 彼女が死んでしまったことによる悲しみよりも、目の前で死なせてしまった自分が恥ずかしい。悔しい。腹が立つ。
 奴は甲高い声を上げた。鼓膜の痛みに堪え、睨みつける。奴も睨み返してきた。
 周りには誰もいない。私と妖怪の様子を見ようとする者すらいない。
 彼らはきっと妖怪の姿を一目みることすら嫌だろう。私の師範でさえ、この妖怪と闘おうとしないのだから。
 私は今まで鍛えに鍛えぬいた術を使った。小さい頃、師範が見せてくれたあの術を。
 師範よりも大きく、重たい光球を妖怪に撃ち込んだ。奴は大きく怯むが、倒れない。
 思い切った私は拳と脚に今にも爆発しそうな程の気を籠め、奴の大きな顔へ飛び掛った。
 崩拳、肘打ち、膝蹴り、踵落とし、裏拳、体当たり、掌底、寸頸。思いつく限りの打撃技を見舞った。
 妖怪が桶の口程大きな目玉をつむって脚を崩し、ようやく倒れる。が、それでも妖怪は死滅しない。
 硬い外骨格をどれだけ砕いても、筋肉にまで痛みが届かないようだ。
 蜘蛛妖怪の体の中心を狙ってもう一度気を練り直す。天地に宿る気を操り、吸出し、集め、砲撃した。
 初めて奴がもがき苦しんでいた。人間に救いを求めている。
 今更慈悲をくれてやる道理などない。こいつは地獄に落とされるべき罪を何度も犯しているのだから。
 さらに力を入れて、気を爆発させた。反動で私も吹き飛び、町の石畳の地面へ背中から堕ちる。
 辺りが青い光に包まれ、轟音が鳴り響く。光が消え、静かになった頃。あの妖怪は跡形も無く消えていた。
 やった。私はやったのだ。妖怪を打ち倒し、復讐を果たしたのだ。私は声高らかに宣言した。
 蜘蛛の妖怪は私が滅ぼしたと。町のところどころから扉や窓を開ける音が聞こえ始める。
 爆発に巻き込まれて吹っ飛んでいったセイニャンの肉体を探して抱いた。まだほんのり暖かい。
 今頃になって悲しみがぶり返してきた。ごめんね、セイニャン。そう呟いても、返事はない。
「人殺し!」
「へ?」
 私の叫び声を聞いた町の人々の声だったのだろうか。しかし、何故私が悪者呼ばわりされたのかわからない。
「美鈴、お前が……うちの娘を殺したんだ!」
 セイニャンのご両親が突然目の前に現れ、私に物を投げつけてきた。
「そうだ! お前が悪い! お前のせいだ!」
「な、何でよ! 意味がわからないわ!」
 町の人々が言っていることを理解できない。私がセイニャンを殺した? 馬鹿げている。
 あの妖怪が私の目の前でセイニャンの命を奪ったというのに。
「お前がやっていないというのなら、証拠を見せろ! お前があの妖怪を倒したと言ったが……その妖怪はどこにもいないじゃないか!」
 後ろから怒号が飛でんきた。別の男が言ったようである。
「そ、それは気の爆発で消し飛んだからよ!」
「嘘をつけ! あんな規模の爆発を起こす術、お前に出来るはずがない!」
 今度は右から聞こえた。聞き覚えのある声だった。そう、師範の声だ。
 野次馬の様に集まった人ごみの中から、引き締まった肉体の師範が出てきた。
「いいえ、私の技です! 師範、私は修行して強くなり、あの妖怪を倒したのです!」
「そんなことできるわけがない! 俺でさえ、あの妖怪には全く歯が立たなかったんだからな!」
「そんな……信じてください! 私が、私の両親を殺めた奴を倒したというのに……」
「信じられるものか! 人間一人で……お前一人であの妖怪を倒すなんて絶対に不可能だ! そう、お前が根っからの人殺しであり……妖怪でなければあいつを倒せるだけの力なんて、出せるはずがないんだ!」
「わ、私が妖怪? 師範、何を仰って……」
「そうだ、あんた実は妖怪なんじゃないの? 蜘蛛の妖怪も、お前さんが自作自演で操っていたんじゃないのかい?」
 左から聞こえた女の声。彼女の言葉はでたらめか、でっち上げとしか思えないようなものだった。
「自作自演ってどういうことよ! どうして私が自分の両親を殺さなければ、いけないのよ!」
「ああ、そうそう。言っとくがな、あんたの爺さんと婆さんも、つい数日前に食われちまったよ。あの蜘蛛の妖怪にな!」
「……うそ」
 そんなこと知らない。前に私を家に誘ってくれた爺様と婆様が亡くなった? 本当に?
 余計に頭が混乱し始めた。
「そんな、なんで……そんなこと、聞いてない」
「聞いてないじゃねえよ! だからお前が妖怪を操って襲わせたんだろう? この人殺し。お前はホン一家の子供になりすました、妖怪じゃないのか?」
「そうだ、そうだ! お前はあの一家のご主人とご婦人、そしてこの町の皆を食い尽くすために十何年も前から住みつき、人間に成りすました怪物じゃないのか?」
「そ、そんな! 何の根拠もなしに……」
「うるさい! 人殺しの言うことなんか、聞きたくもない!」
 彼らの言っていることが全くわからない。なぜ私が悪役を擦り付けられているのかわからない。
 私が生まれるもっと前から活動している妖怪が犯した罪を、どうして私のせいにされるのか理解できない。
 何の根拠があって、悪い事柄を全て私に結びつけるのかわからない。まるで私を苛めて、鬱憤を晴らしているみたいだ。
「ここから出て行け! もしくは、今ここで死ね! 殺してやる!」
「そうだ、ここで殺してやる! おい、誰か武器を持って来い!」
 町の人々が私を罵倒する。口々に悪口を言う。罵詈雑言をぶつけてくる。
 私は何をした罪で、こんな目に会わなければいけないというのだ。
 ああ、私は確かに罰を受けなければいけないようなことをした。道場へ遊びに来てくれた青年を殺めてしまった。
 でもあれは故意ではない。事故に近いものだった。
 そのとき町の人々は私の弁解を聞いただろうか。必死に弁護しようとしていたセイニャンを信じただろうか。
 彼らは全く耳を貸さなかった。セイニャンの言い分を無視し、ひたすらに私を叩いた。
 今自分が置かれている状況が青年を殺めてしまったときの状況と似ている。
 ただあの時は私にも非が在ると思ったし、今でも反省している。
 だが拳法の組み手で死人が出てしまうというのは、過去に無かったわけではない。
 組み手の相手を死なせたことのある武道家は皆裁かれたが、修行中の事故として罪を免れた者だっていた。
 今の私にその判例を適用して無罪になれるかどうかはわからないが、町の人々が無茶苦茶すぎるのは自明の理。
 私は蜘蛛の妖怪を倒したと叫んだとき、町の人々が喜んでくれると思った。皆苦しみや恐怖から解放されるだろうから。
 私の不名誉なこともそれで少しは忘れてくれて、前のように平和な日々が来ると想像していた。妖怪退治は罪滅ぼしでもあると思っていたから。
 それがどうだ、今私は理不尽な理由で人間の敵にされている。罪滅ぼしになると思っていたのは単なる思い込み。
 過度の期待を募らせた妄想。実際には妖怪を殺したということで、より恐れられるようになっただけであった。
 今私は怒っている。小さい頃から優しかった、町の人々が今私を化け物扱いしているからではない。
 父や母の死を冒涜したからだ。爺様と婆様の死をねたにして私を苛めているからだ。
 こんなことをする奴らは人間じゃない。冷酷さと残虐性を兼ね備えた、妖怪の非道さにそっくりだ。何が蜘蛛の妖怪だ。
 今私の周りにいる者達の方がよっぽど醜く、妖怪に近いではないか。人間という生き物がこういうものなら私は人間を辞めてやる。
 彼らの望み通り、私が妖怪になってやる。これほどまでに不条理な社会なんて必要ない。こんな背理的な世界、私が壊してやる。
 セイニャンの体を地面に寝かせて師範に近づいた。師範が構え、人々が野次を飛ばす。私に死ね、と。
「師範、どうして私は皆の敵にされたのですか? 意味がわかりません」
「……そうだな、教えてやろう」
 このまま襲いかかろうと思ったが、少し気が引ける。だから理由を訊こうと思った。師範は構えを少しだけ緩める。そして、口を開いた。
「お前は俺達人間の宿敵である妖怪を倒して、正義の味方にでもなった気分かもしれない。だがお前は殺人を犯した。あれは事故だったかもしれないが、詳しく知らない人にとっては殺人だ。そんな悪人が正義の味方みたいなことをしても、皆は受け入れようとしないのだ」
「じゃあ、一度大罪を犯した者は一生犯罪者なのですか? 何をすれば、罪をつぐなえるのですか?」
「簡単なことだよ、美鈴。死ねばいい」
「へ?」
 師範の言葉を聞いて、ぷっと吹き出した。彼の言った言葉がおかしかったから。だが師範の表情は真剣なもの。
 笑った私を軽蔑しているかのような視線。
 師範の一言に沸いた野次馬で周りの声は一段と大きくなる。あまりの煩さに師範の声が聞き取り辛い程。
「美鈴、お前は切腹というものを知っているか」
「いえ……」
「ここよりずっと東に在るという、島国の話だ。ある職種の人間は大きな失敗を犯したとき、自分の腹を切って詫びようとする。つまりそういうことだ。お前があの蜘蛛妖怪を倒してくれたことに関しては確かに感謝している。だがな、お前のような罪人が、強すぎる者が格好つけるということが気に入らないんだよ」
「だ、だからって……嫌よ! 死にたくない!」
「ならば土下座しろ。詫びろ。謝れ。必死に頭を下げて、皆に認めてもらえ」
 私は師範の言うとおり土下座することにした。もしこれで皆へ刃向かう必要がないと言うのならば、それでいい。
 これで皆が私をもう一度迎えてくれるのなら手出ししよう等という考えを捨てるから。
 周りが静かになった。皆私を見ているのだろう。私の取った行動に驚き、言葉を失っている様子。良かった、これでいいのだ。
 ここにいる者達を皆殺しにしてやろうと思ったけど、思いとどまれる。明日から平和な日々がまた始まるのだ。
 そう思った瞬間、首に冷たいものが触れた。不思議に思って目を開けると、それは綺麗に研がれた鍬だった。
「騙して悪いが……死んでくれ、美鈴。これから先の面倒を考えると、やっぱりお前に消えてもらうのが一番なんだ。お前が強くなりすぎたせいでな」
 冷たいものが離れていった。鍬を振り上げたのだろう。
 師範は嘘をついた。私に土下座させておいて、やっぱり駄目だと言って私の命を奪おうとしている。
 怒りがぶり返してきた。握り拳を作り、歯軋りした。やはりここにいる者達を皆殺しにしないと気が済まない。
 この町は狂っている。ここに在る社会と秩序は異常だ。やはりさっき思ったときに行動すれば良かった。
 強くなりすぎたという理由だけで殺されるなんて、常識を逸脱している。潰してやる。こんな腐った人間の世間など、壊滅させてやる。
「さよならだ、美鈴。お前にもう少し運があれば、こんなことにならなかっただろうな」
 師範が、いやもうこんな奴師範じゃない。師範だった男が鍬を振り下ろした。私はそれを掴む。
 衝撃に耐えながらも、引き寄せた。鍬ごとこっちへ向かってくる彼の肉体。そして私は彼の心臓目掛けて手刀を突き刺した。
 手が肉と骨を貫通し、彼の胸から血が飛び散る。返り血で服が汚れた。男は目を見開いて驚いている様子。
 彼の体の中で砕けた骨に擦れて、腕がくすぐったかった。突き刺したまま手に気を集める。空気中に在る気を混ぜ、固めて爆発させた。
 これは蜘蛛妖怪を消し炭にした術に似たもの。
 師範だった男の体はバラバラになり、そこら中に血肉が飛散。人々の怒号が悲鳴に変わって辺りは大混乱となった。
 胸から溢れ出る激情を吐き散らしたくて、雄たけびを上げた。
 悔し涙の様なものが目から止め処なく漏れてくる。叫び声に驚いて私を恐れたのか、町の人々は表情を固まらせた。
 自棄になって農具を手にした男達が声を上げて私を囲む。強く地面を踏み込み、地響きを起こした。
 すると辺りの大地は裂け、隆起が起こる。それに巻き込まれた者達は断末魔を上げる暇なく倒れていった。
 逃げ惑う者達には光の矢を多量にばら撒き、虹色の弾幕で彼らの背中を打ち抜いてやった。いい気味だ。
 拳法を振るう者達が拳を握り締め、私に飛び掛ってくる。それらの攻撃を避け、武術で応じて皆を返り討ちにしてやった。
 師範を殺し、武器を持って闘う農夫達はいなくなり、武道で私に刃向かおうとする人達は皆殺しにした。
 残る者達は町の影に隠れたり、町から逃げていく弱い者ばかり。
 逃げられた者はどうしようもないが隠れている者達は全員殺した。一人残らず殺した。
 家に引き篭もる者へは蹴りで壁に穴を開けて侵入。
 追い詰められ、拳法で悪あがきをしようという者にはわざと攻撃をさせてから捻り潰した。
 その方が気持ちいいから。その方が大きな断末魔を上げてくれるから。
 家に押し入っても隠れ続けて出ようとしない者には壁や窓、家具等を破壊しながら少しずつ追い詰める。
 そのうち音を上げて出てくるので、そこを叩いて黙らせた。
 それでもなお隠れる臆病者は全力で探し出し、気の術で内臓を潰すという方法で殺害した。
 殺害する対象は老若男女問わない。泣き喚く男の子がいれば顔面を握力で握り潰し、脳漿を撒き散らしたりして遊びながら殺した。
 目に涙を溜めながらも勇ましい表情を保とうとする少女がいればわざと力を抜いた蹴りで蹴鞠の様に遊び道具にし、大声で泣かせてから息の根を止めた。
 私を説得し、落ち着かせようとする老夫婦がいれば二人まとめて殺した。胸を殴りつけて心臓を壊すという方法で。
 人間の気配が感じ取れなくなれば怒りに任せた気功の術で町の家や建物を全て薙ぎ払った。
 こんな狂った町、跡形も無く消してしまっても誰も困りはしない。
 師範だった男の道場は焼け野原。父と母が住んでいた家は粉々になり、大工に建ててもらった私の道場は消し炭となった。
 私の生まれ故郷であるこの町には私一人だけとなる。狂った人間共に囲まれ、妖怪に成り果てた私だけが生き残ったのだ。
 暫く何も食べていないことに気づく。お腹が減っていたのだ。
 しかし廃墟となったこの町には何も残っていない。あるのは人間の死体だけ。では人間の死体を食べればいいのではないだろうか?
 そんな考えが浮かんだ。今の私はもうただの人間ではないのだから、倫理や常識を意識する必要なんてない。だから人間だって食べられるはずだ。
 私はセイニャンの死体を捜した。
 あの妖怪を仕留めた通り周辺を探して見付け、埃を被った彼女の死体を適当な家の風呂場で洗い流した。
 そしてテーブルを綺麗にしてその上に載せ、セイニャンの死体を寝かせた。
 少し可哀想に思って彼女の瞼を閉ざした。衣服を破り捨てて裸体を眺める。
 同姓の裸を観て興奮したいわけではないが、今から禁忌を冒すと考えると気分が昂ぶった。
 何せ数時間前まで私と意思の疎通をしたことのある者の肉を食べようと言うのだ。最後まで私を愛してくれた幼馴染の恩を仇で返そうとしているのだ。
 冒涜的で、不徳義な行動。その行いに私は満足していた。
 食事をする前に、まず大量の水を桶に入れて用意しておいた。人間の肉というものには大量の血でまみれていると思うからだ。
 人間を食べたことのない私がいきなり血だらけの肉を食べたところで胃が拒否反応を起こし、吐き戻してしまうと考えられるからだ。
 だから私は水を用意した。牛や豚、鳥の肉がそうである。
 一度山で猪を殺したときに調理するのが面倒だと思って生のままかぶりついたことがある。
 結果は血の匂いが酷すぎて食べられたものではなかったし、血を多く含む生肉を胃へ流し込んだことですぐに腹を下した。
 そう、この水は肉に残っている血を洗い流すためのものだ。
 手始めとしてぶよぶよになった二の腕の肉を握り、握力で引き千切った。
 セイニャンは少し痩せ気味体型のせいなのと拳法で体を鍛えているせいか、脂肪が少なく締まった身体であった。
 繊維が一杯ありそうで食べるのには苦労しそうだと思った。肉を水につけ、よく揉んで血を抜く。
 あまりに匂いが酷いせいか、胃液を吐き出してしまった。それでも肉片を見つめ、鼻を押さえながらそれを口に運んだ。
 生臭さと、歯ごたえのない肉の感触にまた吐き気を催す。
「これは美味しいものなんだ。妖怪にとってはご馳走なんだ」
 そう自分に言い聞かせながら一口流し込んだ。もうそれだけで食欲が失せた。人間を食べるということは予想以上に難しい様である。
 私は水を飲んで喉を綺麗にすると食事を一旦中断して別の人間を集めることにした。
 セイニャンはがんばって食べるとして、その先の食料を確保するために廃墟となった町を歩く。
 死体を数名集め、風通しが良くてひんやりと冷える場所に安置。そしてセイニャンの死体へもう一度挑むことにした。
 私はまだ人を食べることに慣れていないのだから、最初はなんでも試しにかじってみるしかない。
 セイニャンの目玉に興味を持った私は片方を指で摘み、引き抜いてみた。細い尾を引く、ぬるぬるとした目玉。
 それを直に触って得られる感触に感動を覚えつつ、水分を多く含む眼球を口に放り込んだ。
 ぶよぶよとしており、中々噛み砕くことができない。それにイライラするが、みずみずしさは美味しい。
 まるで果物の様な味。目玉から伸びている赤い筋を啜ってよく噛んで飲み込む。
 初めて溜息をつくほどに、美味しく人間を食べた。もう一つ残っている目玉に指を伸ばしたところで、思いとどまる。
 今晩は人間の食べられる部位を探すことに専念して、贅沢は我慢するべきだ。そう自分に言い聞かせて、今度は膨らみの少ない胸にかぶりついた。

 朝焼けの時間になっても私は眠ることを忘れ、ひたすら人肉を胃に押し込むことだけを考えていた。
 セイニャンの肉はまだまだ骨についており、食い尽くすにはもっと時間がかかりそうだった。
 私はセイニャンの死体を煙に燻すことにして、休むことにする。排泄することも忘れない。
 目が覚れば水分が抜けて硬くなったセイニャンの死肉に食いついた。美味しいのかどうかなんてわからない。
 そもそもこの行為で本当に妖怪の証明になるのかわからない。
 ただ死体を食べるという行為に興奮する。あえて仲の良かったセイニャンを襲っているという背徳感に体が震え、それが快感になる。
 それだけだった。
 セイニャンの死体を食べきるだけで私は一週間程かかった。正確な日数はわからないが、おそらくそれぐらい時間がかかった。
 血を洗い流すための桶の水を何回入れ替えたかなんて覚えていない。
 食べ終える頃には人肉を見て涎が出てくるようになった。
 もっと鮮度のいい状態で食べたい、なんて贅沢を求める程に人肉が好きになった。
 気がついたときには町に残っている死体が皆腐って異臭を放っていた。もうここに人間は寄っては来ないだろう。
 私はここを離れることにした。ここにずっと居ても食べるものはないし、誰もいないのだから。
 居てもどうしようもない土地だ。次に私はどこへ行けばいいのだろう。
 また山に篭ればいいのだが、それで生きていても何の楽しみもない。
 寝る、食う、出すだけのつまらない日常が繰り返されるだけ。これでは生きることに飽きてしまう。
 私のような者が集まる場所はないのだろうか。
 私のようになに人間を嫌う妖怪になろうとも娯楽を求め、日々を楽しく生きたいと願う者が集まるような場所は存在しないのだろうか。
 とうとう私はこの狂った町を抜け出した。

                                                           (後編へ続く)


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